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母のカニ豆腐

 いつも小言を言って口うるさい母も、子どもが高熱を出して寝込むと、まるでマリア様のように慈愛に満ちた表情になり、必死に世話をしてくれるものです。
自分が眠る時間もそっちのけで、子どもの枕元につきっきり。小さなおでこに何度も自分のおでこをくっつけて、子どもの体を心配してくれます。
幼かった僕はそんな母の思いをよそに、熱でうなされながらも母が仕事を休んでそばにいてくれる嬉しさで、「もっと熱が続かないかな…」と思ったものでした。
だけど、大抵の場合、僕の熱は長く続くことはありませんでした。なぜなら、うちの家にはおばあちゃん直伝の「必殺豆腐しっぷ」が伝えられていて、母はいつもそれを使って、僕の熱を一晩で下げることができたからです。
その「必殺豆腐しっぷ」というのは、タオルに木綿豆腐を巻いて、おでこに乗せて熱を下げるという簡単な手当法。
けれども、そんな「必殺」でもない方法で、「熱よ、続け!」と呪文のように唱える僕VS「熱よ、下がれ!」と祈る母とのバトルは、なんともあっさり母へ軍配が上がるのでした。
そうして、40℃近かった熱が微熱に下がると、母のスペシャル滋養メニューが登場します。それは、特製「カニ豆腐」。風邪をひいたときのおきまりのメニューでした。
寝ている間、水分以外とれなかった僕に、少しでも早く栄養をつけさせたいという思いで、母は戸棚の奥にしまっていたとっておきの「カニ缶」を開けて、この「カニ豆腐」を作ってくれるのでした。これは元気な時は、なかなか食べられない母の手料理でした。
さいの目に切った豆腐に、カニのあんがトロリとかかって、なんとも柔らかい。かつお節とカニの風味が香って、弱った体にじんわり染みこんでいく優しい味。
母は最初の一口だけレンゲですくって、フウフウ冷ましながら僕の口に「カニ豆腐」を運んでくれました。そして、僕がゆっくり飲み込むのを見ると、ホッとするのか、お約束のようにこの台詞を言いました。
「『カニ缶』高いんだから、2回は作れないのよ」
この言葉の後、母はいつもの小うるさい母親の顔に戻ります。そして僕は、「明日から学校に行かなくちゃ」と気持ちを切り替えるのでした。
病み上がりの朝、冷蔵庫を開けると、そこは青い光でいっぱいになっています。それは木綿豆腐の青いプラスティックケースのせい。こんなにたくさん…と、いつもその青い冷蔵庫を見ると、胸が熱くなったのを覚えています。
だけど、こうも思いました。
「どれだけ熱が出たら、『カニ缶』から本物の『カニ』になるんだろう?」って。
「親の心、子不知」…そんな言葉が頭をよぎる思い出です。かに通販でしっかりかにを買ってごちそうしてあげようと思います。

 

 

 

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