毎年、2月になると、おばさんの命日が近いなあと思います。
おばさんは、5年前の寒い日に亡くなりました。
色々持病をもっていて、最後には病気のデパートのようになってしまって、亡くなったのも、入院していた病院のベッドでした。
わたしと姉は、子供の頃、両親は共働きで、鍵っ子でした。
母の帰宅は、遅い時は夜の9時を回りました。
父に至っては午前様など、ざらでした。
わたしと姉は、ずいぶん寂しい子供時代を送っていたと思います。
しかし、子供時代のわたしたちに、そんな自覚はなく、テレビを見たり、漫画を読んだり、それなりにだらだら暮らしていました。
夕方から夜にかけては子供二人だけの時間でしたが、時々、おばさんがご飯をつくりに来てくれました。
時々、ピザをとったり、ラーメンを食べに連れて行ってくれたりもしました。
漫画雑誌や、人形の服などをお土産に持ってきてくれたりもしました。
中でも一番楽しかったのは、カニのお土産でした。
なにしろ、おばさんはかにとビールが大好物だったのです。
おばさんがゆでたカニを持ってくる日は、決まって、おばさんが家に泊まる日でした。
そういう時は、必ずと言っていいほど半ダースセットの缶ビールを下げてきていました。
酒豪だったおばさんは、テレビを見ながらカニをつまに、ビールをグイグイ空けるのです。
豪快で、太っ腹なおばさんでした。
わたしも姉も、おばさんが大好きでした。
おばさんには子供はいません。
一度結婚して、いろいろあって別れたきり、死ぬまで独身を通しました。
おばさんは50代に入ってから、それまでの不摂生がたたり、病気がちになりました。
痛風を病み始めたのもこの頃からです。
大好物のカニやビールには、痛風によくない成分が含まれているとの事で、おばさんは好物を食べることができなくなりました。
他にも色々な病気をし、入院したり退院したりを繰り返していたのですが、わたしたち姉妹がお見舞いに行くと、やつれた顔で、ニタと笑い、いつでも陽気でした。
お茶目で、元気いっぱいで、体は病んでも心は病気に負けない、大好きなおばさんでした。
そんなある日、母と父が夜、台所で話し合っているのを聞いてしまいました。
「ミヤコさん(おばさんの名前)が、病院で、カニを食べたいと言って泣くらしい」
「カニ・・・絶対ダメよ!」
「そうだな。ミヤコさんも分かっているけれど、もうどうしようもないんだろう」
そんな会話を聞いてしまい、わたしは悲しくなりました。
カニを食べることを禁じられている理由は、わたしにも分かりましたが、好きなものを食べることすらできないおばさんの気持ちを思うと、涙がこぼれました。
泣くほど食べたかったカニを食べることなく、おばさんは亡くなりました。
亡くなる前は、体に管をつけられて、口からものを食べることもできない状態だったそうです。
それでも、わたしたち姉妹が見舞いに行くと、いつでもニタと笑い、嬉しそうにしてくれました。
おばさんが亡くなった知らせを聞いた時、わたしと姉が最初に言い合ったのはこうでした。
「これで、カニ食べ放題だね」
「天国でむしゃむしゃカニ食べてビール三昧だね」
悲しくて涙が出ましたが、わたしと姉はそう言い合って、おばさんが天国で好きなものをたくさん食べることができるよう祈ったのでした。
父母も同じ気持ちだったのでしょう。
毎年、おばさんの命日がくると、必ず、ゆでたカニが食卓に出されるようになりました。
普段は日本酒派の父も、この日ばかりはビールを飲みます。
カニを食べるたび、わたしは大好きだったおばさんのことを思い出します。
そして、今頃は天国で、毎日カニを食べているだろうと想像するのです。