僕は、現在結婚しており、子供もいますが、今でも時折思い出す昔の恋人がいます。
特に冬、かにのシーズンになると彼女をよく思い出し、どうしているのだろうかと思っていたものです。
連絡を取る必要はないけれど、気になる。
幸せになっているだろうか、などと、ちらっと思い、またすぐに現実の生活に戻り・・・ということを繰り返しておりました。
ところがつい先日、大学時代の友人より連絡が入り、彼女の訃報の知らせを受けました。
葬儀には間に合いませんでしたし、彼女はすでに結婚していたために、僕がなにかをすることはできませんでした。
せめて、追悼の気持ちをこめて、彼女とのエピソードを書きます。
大学時代に彼女とつきあっていました。
バイト先が同じだったのです。
バイトは飲食店のフロアスタッフをしていました。
はきはきとして明るい彼女に、僕のほうから惹かれました。
同じ大学で、同じ学部で、しかもアパートが近かったのもあり、交際は順調でした。
バイト先では時々、残った食べ物をおすそわけしてくれました。
冬には、かになどもいただきました。
彼女は料理が上手で、かにグラタンやかにコロッケなど、何でも作ってくれたものです。
彼女のつくるものは何でも美味しかったのですが、特にそのかに料理が絶品でした。
今でも彼女の溌剌とした笑顔を思い出すと、自分がした仕打ちが苦しく、取り返しのつかないことをしてしまった思いにさいなまれることがあります。
僕らの関係に終止符が打たれたのは、つきあい始めてから3年ほど経ってからです。
原因は僕にありました。
当時、僕は苦学生で、バイトをしながら学業にいそしんでいました。
将来の夢だけは大きかったのですが、現実はいまどき珍しいほどの貧乏学生です。
卒業を目前にし、僕はだいぶ荒れていたと思います。
彼女とのつきあいもおろそかになってゆき、おまけに良くない友達もできてしまい、古いバイクで夜道を飛ばすなど、やけくそのようなことをしていました。
それでも彼女は毎晩、スペアキーで僕の部屋に来ては食事を作っていってくれました。
メールもたくさんくれたのですが、僕はあまり返しませんでした。
僕の中で彼女を失うことなど考えられませんでした。
いつだって彼女は側にいてくれるという、大変な甘えがあったのだと思います。
その頃、僕はバイト先を変えていました。
もっとお金の良い、パチンコ屋のアルバイトをしていたのです。
悪友達とはそこで出会いました。
一方彼女はいまだに飲食店のフロアスタッフとして頑張っており、時々、余った食材やおかずを持ってきてくれました。
ある日、久々に彼女とデートの約束を取り付けたのですが、僕はその約束を破ってしまいました。
もう面倒くさくなってしまい、約束の時間が過ぎてからドタキャンのメールを送ったのです。
彼女からメールは帰ってきませんでした。
その夜、僕は仲間と一緒に夜遊びをしていました。
朝帰宅してみると、テーブルの上に、彼女の手製のかにコロッケが乗っていました。
ラップされた料理の上に、置手紙がありました。
その手紙に、お別れのメッセージが書かれていました。
大きなものを失ったことに僕が気付いたのは、それからしばらく経ってからでした。
しょっちゅう食べたかに料理の味が懐かしくなったり、大学で彼女の姿を見かけても声をかけることができなかったりと、切なかったです。
自業自得の痛みを十分に味わいつくして、僕は大学を卒業しました。
その後、社会に出、恋愛をし、結婚をしましたが、かにの季節がくると彼女のことがよみがえったものです。
彼女の訃報を伝えてくれた友人によると、事故であっという間に亡くなったらしいとのことでした。
また、子供はいなかったようですが、恋愛結婚をし、大変仲の良い幸せな夫婦だったということです。
夫婦でかに料理を食べたのでしょうか。
死ぬ間際まで彼女が幸せだったことが、僕にとっての、せめてもの慰めです。